価値の判断基準が自分の外にあるので勉強になりましたとすぐ言う人


Geekなぺーじ : 「勉強になりました」は禁句
 ぐさり。やられました。これってビジネスの場じゃなくて、一般的にも言えることですよね。何らかの肩書きを背負って、課題とタイマンはる覚悟を持つ。足りてなくても、その場で補い、どうにかカタチにする、というのは大事かもしれません。
 というかこの、自分を相手より下に位置付けるような発言をするのって、まさに僕の常套手段です。taiyakilifeでも最初に卑下で始まるエントリをよく書くし。どっか逃げ腰で、真摯に向き合ってないので、批判を受けても成長しない。「そうなんだよ、僕ってこーゆーヤツだからさ」で終わってしまうというのはダメですね。




 上の記事はビジネスの場での話ですが、偶然似たような話題が大学の場でも。
価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習

価値の判断基準が外にある人間は、自分の内部にあるものが外に問うだけのクオリティに達しているかを常に悩んでしまい表現を外に出せない。

 もうまさにコレです。まだそのレベルに達してないからって思うと、教授に質問にもいけないし、読んでみたい本も読めないし、好きな女の子にもアタックできないし。逆に言うと、多少の欠陥があっても、自分からひねり出した答えを出せば、ちゃんと報酬が返ってくるのではないかなと。
 かのお笑いコンビFUJIWARA原西孝幸は言いました。

背骨を…ひっこ抜いたら立ってられへん!!

next49さんの言う精神的な背骨は、立てるけど、前に進めないという感じでしょうか。




 「Geekなぺーじ」の記事では

外に出たときは、例え自分に知識が欠落していると自覚していても、水面下で必死に苦労して相手にはそれを見せてはいけないのかも知れません。

と述べられ、他方、「発声練習」の記事では

外に問うということは反論を食らうということなので、皮膚は破れ、肉は断たれる。でも、骨は守る。傷を癒し、身のこなしを鍛え、骨を強化し、場合によっては骨を入れ替え、再び世の中に自分の考えや思いを問う。

と言われています。
 要するに「模範解答はない、お前の答えが聞きたいんじゃ!」という教えとして肝に銘じようと思いました。TBやスターをするのも躊躇するんですが、思い切ってしてみました。これもトレーニングの一環として。