「流産させる会」について追記


 僕ら大学生は、小中高校生よりはたぶん分別があって、しかし彼らと同じ心を持って考えられる、ギリギリの年代にいると思います。そんな僕らだからこそ、こういう記事を見て「今の子供は」みたいに、子供を「現代っ子像」という型に嵌めて考えちゃうのはいけないと思うのです。
 このような記事を見て覚える直観的な反感を、論理や共感でもって御さずに蓄積していくと、それが世代間の断絶を生むことになります。そうした世代間の断絶、相互理解の欠如が、さらに子供の非行を助長するのではないでしょうか。
 このニュースのようなイレギュラなことを情報源にして、何かに対するイメージを形成してしまうと、ズレが生じます。しかもニュースというのは、そこに至った文脈や詳細を恣意的に無視している場合もありますし。
 ここで好きな言葉を引用します。

スポットライトは、それ以外のところを暗くする効果があるし、マイクを使えば、その周辺以外の声や音は聞こえなくなる。テレビとか新聞とか、マスコミって、本当に歴史が浅いわけ。今はまだ、たまたま勝ち取った自由に酔っている。意志や価値観まで量産できると思い込んでしまって、知らず知らずに、それを押し売りしてしまう。酔っ払いが自慢話をしようとしているだけ。
森博嗣夢・出逢い・魔性