「流産させる会」について追記


 僕ら大学生は、小中高校生よりはたぶん分別があって、しかし彼らと同じ心を持って考えられる、ギリギリの年代にいると思います。そんな僕らだからこそ、こういう記事を見て「今の子供は」みたいに、子供を「現代っ子像」という型に嵌めて考えちゃうのはいけないと思うのです。
 このような記事を見て覚える直観的な反感を、論理や共感でもって御さずに蓄積していくと、それが世代間の断絶を生むことになります。そうした世代間の断絶、相互理解の欠如が、さらに子供の非行を助長するのではないでしょうか。
 このニュースのようなイレギュラなことを情報源にして、何かに対するイメージを形成してしまうと、ズレが生じます。しかもニュースというのは、そこに至った文脈や詳細を恣意的に無視している場合もありますし。
 ここで好きな言葉を引用します。

スポットライトは、それ以外のところを暗くする効果があるし、マイクを使えば、その周辺以外の声や音は聞こえなくなる。テレビとか新聞とか、マスコミって、本当に歴史が浅いわけ。今はまだ、たまたま勝ち取った自由に酔っている。意志や価値観まで量産できると思い込んでしまって、知らず知らずに、それを押し売りしてしまう。酔っ払いが自慢話をしようとしているだけ。
森博嗣夢・出逢い・魔性

「流産させる会」について


 気分の悪い記事には違いないのですが、2chでのコメントなどで「実名報道しろ」みたいなことが言われているのを読んで、それはちょっと違うのではないかなぁと思いました。
 僕が小6の頃*1、男性教諭の給食に下剤を混ぜるなどの反抗/犯行がクラス単位で行われていたことがありました。僕は、ニュースで報じられた事件の発覚に寄与した良識ある生徒とは違って、それをむしろ面白がって見ている感じでした。
 あの時期って、体格も知識も成長して、急に出来ることが増え(たと錯覚し)ます。しかも、たとえば「サラリーマン=薄給でこき使われて未来も希望も何もない、仕事帰りは大酒浴びて酔っ払って帰ってきて情けない」みたいな、大人について否定的なステレオタイプをテレビや親から植えつけられているから、大人に対する威厳をあんまり感じません*2。だから、自分たちでなんでも思い通りにできると思い、その限界を試してみる、といった行動に走りやすいのではないかと思います。
 加えて、集団の圧力というのも無視できないほど大きいと思います。
 なので、ここで実名報道だの告訴だのといった社会的制裁を加えて絶望感を与えるのは得策ではないと思うんです*3。きちんと反省できるような罰やチャンスを与えるべきとは思いますが。
 まず被害者と加害者とが、発端となった指導方法についての意見の相違についてよく話し合い、歩み寄った後で、被害者の夫が学校に行って、加害者の生徒に、彼ら夫婦が子供をどれだけ楽しみにしていたか、みたいな背景を語り、気の利いた説教をするとかが良いのではないかなと。それでも後悔や共感を覚えないようであればちょっとどうしようもないかもしれませんが。

*1:そろそろ10年前になりますか…うわぁ…

*2:大人のスゴさが分かるのってもうちょっと後だったりするんだよね…

*3:実際、被害者の先生は告訴しませんでした

浮気、Jについて


 性的興奮状態にあると合理的判断ができなくなるらしいので*1、浮気をしない(させない)環境に身を置くか、そうでなければバレない(詮索しない)ようにするのがせいぜいかと思われるのです。
 でもあんな美人をお嫁さんに貰っておきながら名だたる美人と不倫するのはやっぱり許せない部分があるのです(ただの嫉妬)。

*1:参考:『予想どおりに不合理』

草食系男子について


 僕は、その気になれば襲える、そして相手もそれを分かっている、しかしお互い知らないふりをしながらやりとりをする、そのギリギリの感じが好きです。磁石を、くっつかないすれすれの所で近づける感じ。くっついちゃったら、あとは一方通行なので、あまり面白くないというか。あとぐされと自己嫌悪が面倒臭いというか。
 まぁそういうことを発想している時点で草食でないのかもしれませんが…。

先入観、偏見について


 論争風なエントリを読んで、その批判の的となっていた人に「コイツ頭いかれてしまってるんじゃないか…」とすら思っていたのですが、そのエントリに対する批判エントリを読んで印象がガラリと変わってしまった、ということが立て続けに2回ありまして、それはもうグラグラゆらゆらしています。
 タイトルがstereotypicalだとそれだけで自動的に釣られてしまうので本当に危ないです。

付き合うまでの気持ち悪さ


 なんかこう、一方の意向を無視して、他方が仲間内で勝手に「イケるんじゃね?」みたいに盛り上がってる感じがすごく気持ち悪いです。勝算を冷静に見積もって欲しいです。そういうのが隠れてれば別にいいんですが、mixiってマイミクになると相手の友達のコメントとかから「仲間内」のやりとりが見えちゃうので困ったもんです。挙句の果てに「悔いはない」とか言って勝算もなしに告白しちゃうとか狂気の沙汰。
 とか言って自分が誰か好きになったら結局そういう感じで仲間と盛り上がるんですけどね…。

政治?


 批判する根拠としても批判への反論の根拠としても、何かというと「民意」とか「有権者の方々の声」とか言って国民を言い訳に使いますけれども、それは無茶ぶりもいいとこですよ。「えっ俺そんなこと言ってないって!」みたいな。採決までは数でなく論理的正当性で勝負して欲しいです。
 ところで次の選挙では僕も有権者ですが、正直どの人がどういうマニフェストウを掲げてるのか分からないので困ります。政党単位だとどこもウーンっていう感じなので、個人の主義主張を聞いて決めたいとは思いますが、いざというときに党の意向で個人の主義主張を曲げざるを得なくなることもあるし、かといって無所属だと政策の実現の可能性が低そうだし、というか結局、論の良さは関係なしに多数派の意見が全部通っちゃうような気がするし、とすると棄権ということになるのかなと。
 学生でも選挙行こう!とモリモリしている人が意外といて、それは立派だと思うんですが、そういう人はどういう情報を参考にして投票する人を選んでるんでしょう。上記のような虚しさをどういう論理で克服されてるんでしょう。だれか教えて!
 あんまり関係ないですが、小中学生のときに「明るい選挙ポスター」を書かされたのが懐かしく思い出されます。